伊雑宮(志摩市)概要: 伊雑宮の創建は不詳ですが、伝承によると垂仁天皇27年(紀元前3年)、倭姫命が伊勢神宮へ奉納する神饌の御贄地を求めて当地を訪れた際、伊佐波登美命によって示された事で御贄地に選定し、同時に伊雑宮を建立したと伝えられています。
延暦23年(804)に編纂された皇太神宮儀式帳や延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳で記載されている天照大神の遙宮は当社の事とされ少なくともこれ以前から鎮座していたと思われます。
延喜式神名帳では式内大社に列していることから志摩国一宮とされ歴代の為政者や領主などから崇敬庇護されました。
養和元年(1181)に起こった源平合戦では平家から庇護のあった伊雑宮が源氏側に付いた熊野神社から侵攻され多くの社殿が破壊され社宝を奪取されました。
伊勢神宮別宮の中では唯一伊勢国以外に鎮座し格式も上位に列するなど特異な存在で、神事である御田植式は、大阪の住吉大社、千葉の香取神宮と共に日本三大御田植祭に数えられるもので平成2年に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
伊雑宮:上空画像
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